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ものにも町にも、魂は宿る。
動物や植物ならなおさらだ。

地下鉄が開通し、いくつもの高層ビルが競って建ち…再開発の名を借りた商業主義に呑み込まれ、この4〜5年で、地元の町は大きく変わってしまった。その変化は、バブル当時の勢いをはるかに凌ぐ勢いと規模だった。

現代社会には情報が溢れ、通信や移動も飛躍的に速くなり、新しいもの、便利であることが「良い」という、洗脳ともいえる錯覚に支配されている。その錯覚は気づかないうちに焦燥感を生み煽り、より便利さを、より速さを求め続ける結果、その時代に生きる私たちは、心の豊かさを失くしてしまった。手間がかからないことは便利ではあるかもしれないが、それがイコール「良いこと」だとは限らない。どこかですっかりその理屈が押しやられてしまったことに気づいている人は、まだ少ない。

「アナログ」は手間とコストがかかるが、「デジタル」なら便利でローコスト。本来、比較する対象ではないはずの両者が秤にかけられ、取捨されていく現状。それはカメラの世界でも、大手メーカーのアナログカメラやフィルムの製造中止などとなって顕著に表われている。旧式であるものは、手間とコストがかかるという理由から、どんどん姿を消してゆくのだ。それだけが持つ「良さ」は、生き残る理由として重視されない。

手間がかかるということは、その工程の中で、作り手の心がこもるということだ。マニュアル化し、オートメーション化した社会が生み出すものには、その余地はない。新しいものを否定するわけでは決してないが、古いものだからこその良さ、価値を認め、残していける社会であって欲しかったと思う。山を削り、古い町並みを壊し、大木を情け容赦なく伐り棄てて作り上げた、見かけだけがきらびやかな建物や商業施設は、私には古いものたちや、豊かに息づいていた町そのものの墓場にしか見えない。

地元の町を撮りはじめた時点でもすでに遅く、残っていたものはだいぶ少なくなってしまっていた。その後も毎週のように古い建物や景色が消えてゆく中、いくつかは写真に残すことができた。そしてその多くが、今はもうない。撮った段階ではまだ人の生活の気配があったのに、翌週にはそこが更地になっていたり、工事現場のガードに覆われていたりということが多々あった。今振り返ると本当に、時間との追いかけっこだったと実感する。

打ち棄てられたものや朽ちるまま放置されるもの、誰にも知られずに片隅で咲き枯れてゆく花たち。その姿が自分と重なり、「私はここにいる」そんな囁きが聴こえる気がして、憑かれたように町を歩き、シャッターを押し続けた。その写真たちの居場所を、ここに作ろうと思う。そんな私の記憶の断片に、あなたの記憶が共鳴してくれることを信じて。

2010年2月27日 ABBY





Profile


ABBY。1969年、父親が留学していたマサチューセッツ州ボストンにて生まれる。 生後約半年で日本へ帰国、3歳の時に父が単身ニューヨークへ再渡米し、母と二人で麻布に。 ピアニストである父・菊地雅章のライブなどを撮影するうち、見る対象だった写真が撮る対象に。 それまでは、明らかにのめり込みそうなものからは意図して遠ざかっていたのに。 以後、トイカメラから銀塩に入り、現在はオート、マニュアルの銀塩一眼レフをメインで使用する。 体調不良などで写真から遠ざかっていたが、2007年春から、急速に姿を消しつつあった地元の古い町並みを少しでも記憶に残そうと、リハビリを兼ねてカメラ片手の週末の散歩をはじめる。



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